金燈籠は城下町大田原のシンボル的存在。

文政二年(1819年)、大田原宿の有志三十八名により、

防火や町内安全、旅人の夜道の無事を祈願し上町十字路に

建てられた初代金灯籠は、太平洋戦争末期の「金属回収運動」

により応召されて消滅。二代目は三斗小屋宿から譲り受けた

が、昭和53年に黒磯市に返却された。

三代目は昭和54年、地元商店街有志により初代そっくり

に再現して鋳造されたものだが、台座は往時のもので「江戸」

「白」と刻まれ、「塩原道」との追分道標であった。

あくまでも噂の話だが、横浜の某料亭で、大田原市の関係者

が初代の金燈籠を見たということである。ということは、供出

した金燈籠は戦争には使われなかった?

 

 

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